2008年02月22日

二刀流のススメ

本来は、物事をハッキリと白黒つけられることの方が圧倒的に少ないでしょう。でも敢えて、「日本的」「欧米的」とを区別させてください。
(欧米といっても、基本的にはアメリカイメージしてください。アメリカといっても国籍の“るつぼ”で、、、とい言い出すキリがないので、あしからず。)


日本では、「形式」が重んじられます。

欧米では、「権利」が重視されます。

今回は、分かりやすくするために、
「利己主義」を「権利主義」、「集団主義」を「形式主義」と置き換えます。

これまで、「形式」を重んじ、「常識」「社会のルール」を身に付けることが、「大人になる」第一歩でした。

しかし、「権利」「自己主張」という欧米流常識が、それに取って代わろうとしています。

といった前提を踏まえて、本題に入ります。


こんなことってないですか?

@上司との面談で、「言いたいことがあるなら、正直に話しなさい。」と言われて、その通りにしたら、上司が冷たくなった。

A「この企画、お前に任せるから!」と言われて、自分なりに新しい考え方を取り入れて企画提案したら、「今までのやり方はこうだった。」とか「もっと先輩のアドバイスを貰いなさい。」と言われた。

Bお客さんの“言いがかり”クレームに対して、謝ると責任を取らなくてはいけなくなると思い、敢えて、冷静に対応したら、「こっちは謝ってほしいだけなのに!」と逆に怒らせてしまった。


C上司をたてて“よいしょ”したら、「俺は古いタイプの人間ではない。そういう奴は嫌いだ!」と冷たくあしらわれた。

D先輩に教わったマニュアル通りに企画提案したら、「お前は、臨機応変と言う言葉を知らんのか!形にとらわれるな!」と怒られた。

Eお客さんの“言いがかり”クレームに対して、とりあえず謝ったら、
「謝るってことは、ミスを認めるってことだな。じゃあ、返金してくれ。」と余計に強く出てきた。


いかがでしょうか?
「で、結局どうすればいいのだろう?」って悩むことはないでしょうか?

時に、空気を読み、大人にならなくてはいけないかと思えば、
時に、積極的に自己主張をしなくてはいけない。


その時に求められるのが、どっちなのかを嗅ぎ取るのは、少し難しいテクニックではありますが、この両者の使い分けができると、多少はイライラから開放されるかもしれません。





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2008年02月21日

自分の身を守る「権利」!?

このブログを開設したときに、少し触れましたが、以前私は経営コンサルタントをしておりました。(→「今日からブログを始めます」)

コンサルの仕事といえば、「制度を作ったり」、「社員研修したり」ということが中心になります。

もちろん、うまくいくケースもありますが、なんだかしっくりこないケースも多いのが事実です。


その原因は、会社によって様々なのですが、私なりにその元をたどっていくと、最終的に行き着くのが、「バランスの問題」です。


それも会社によって色々あるので、具体的な話をするとキリがありませんが、大きく分けると次の二つに凝縮されます。
(このブログの主テーマは「個人」の考え方です。「会社」についてご関心があれば、「新ビジネスマンの現実!?」をご参照ください。)


@「会社」と「社員」の関係
A「会社」と「お客さん」の関係



そのバランスが崩れている理由として、かなり大きく影響していると思われるのが、最近の記事で取り上げている「権利」という考え方です。


欧米的な「権利」という考え方が、日本人にとっても当たり前になりつつあります。

さらに、「不況」「格差社会」という現実が、少しでも「損」をしたくないという気持ちにつながり、その傾向を強めています。


「会社」も「社員」も「お客さん」も、自分たちの「身」「権利」を守ることに意識が集中しています。(それを口に出すかどうかは別として、、、)

ちょっぴり関連記事 → 「デフレ経済」「勤労意欲の低下」「無駄なルールが多い理由」「企業の不祥事」「クレームの時代」


今回はここまでにします。次回も続けます。


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2008年02月20日

「利己主義」と「集団主義」の違い

「あ〜、もう(会社)辞めたい〜!」という人に、
「じゃ〜、辞めれば?」って冷たく対応すると、、、

「できるわけないよっ!」っていう答が返ってきます。

その理由を聞くと、、、
「生活があるから・・・」
「みんなに迷惑かけるから・・・」
「人間関係(給料)はいいから・・・」   などというのがほとんどです。


これらの人々のほとんどは、「@利己主義によるメリット」か、「B神経症という精神病」のどちらかです。

そもそも、
「A集団主義による自己犠牲」
の人は、「辞めたい」とは口にすることはないでしょう。


少し余談ですが、、、
私の経験上、「“辞めたい”と周囲に言いふらしてから転職する人」と「何も言わずに転職する人」では、圧倒的に後者のほうが、その後の会社で成功している気がします。


前回、「『権利』は与えられず、『義務』だけ強調される」会社があると言いましたが、
「利己主義」と「集団主義」の一番の違いは、ここでいう「権利」の認識の違いと言えるでしょう。

「利己主義」による人は、しっかりと「自分の権利」を意識しているのに対し、「集団主義」の人は、「権利」という意識を持っていません


「権利」というのは、そもそも欧米的な考え方です。
(最近では、「モンスター○○」というやたらに権利主張する人もふえているみたいですが・・・これも欧米化の象徴でしょう。)

少し極端ではありますが、「日本的考え方」「欧米的考え方」は、全く相反する面が少なくありません。

「自分って一体何者なんだろう」で触れましたが、自分を構成する要素は、その環境によって育まれます。

その過程で、この相反する価値観が、自分の中に乱立してしまうから、
「やたらと不満に感じてしまったり」、「やたらと自分を抑えてしまったり」することになるのでしょう。


どちらにしても、ストレス」から逃れられないことになります・・・
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2008年02月19日

「日本人らしさ」とは何なのか・・・

前々回のつづき。です。

「自己主張を控える」「場の空気を大切にする」「謙譲の気持ちで相手を立てる」「目上の人を敬う」「自分の権利よりも集団の慣習を優先する」「自分の役割・義務を責任を持って果たす」などなど、、、
これらが、「日本古来」のものかは別として、「日本人らしさ」であったことは間違いないでしょう。

少なくとも、
農耕民族であり、「集団」や「共同体」を大切にした、かつての日本では、「集団主義による自己犠牲」は、「美徳」でありました。


しかし、急激なアメリカ化」、さらには、近年の国際化の波のなかで、その「日本人らしさ」は失われていきました。現在も、その過渡期にあるといえます。


特に、「会社という場面」では、その傾向が強いのではないでしょうか。

次々に、欧米的な経営手法やビジネス用語が日本に入ってきます。

イノベーション、コーポレートブランド、コンピテンシー、バリューチェーン、コアコンピタンス、ファシリテーション、CS、MECE、TOC、AISAS、SCM、DCF・・・挙げればキリがないですが、このようなカタカナ語や英語が頻繁に使われるようになってきました。

また、、、
不況にあえぐ多くの企業が、欧米流の社内改革を実施しています。
(例えば、リストラ、成果主義やMBOの導入、人事アセスメントなどなど)


もちろん、これら自体が悪いわけではなく、むしろ取り入れていかざるをえない部分も大いにあると思います。


問題は、「表面的な制度や戦略」において「欧米化」しているにもかかわらず、「社内風土や上司の考え方」が上で挙げたような「日本的」である場合に起こりえます。

つまり、「青い目をした日本企業」にいる一般社員は、「欧米的な目標を与えられ、欧米的な結果の縛りを受けながら、実際には、日本人らしさを求められる」ということになります。


結果的には、「『権利』は与えられず、『義務』だけ強調される。」ということになってしまいます。


私は、この『国際化の波』と、相変わらず残っている『日本人らしさの押し付け』の間で、苦しんでいる方が多くいらっしゃるのではないかと考えています。

今回は、ココまでにしておきます。

posted by braindex at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愚痴る「幸せ」

前回のつづき。よりも、先に3つ目の理由を先にご紹介しておきます。
(すみません。。。予告と違いますが・・・)


B「神経症」という精神病

この判断基準は、「不快・損・悪」ですが、この場合は、別の判断基準が生じています

それが、
「不満を言うこと」「自分の不幸をアピールすること」に対する「快」です。


「不満を言うこと」が悪いというわけではありませんが、
「事態の改善意欲がない」だけでなく、「改善されること」も望んでいないケースが多いのです。

もし、「改善」されたとしたら、また別の「不満要素」を見つけ出すことでしょう。


ここでは、「やりたくないこと」をやるという行動自体は、すでに本人にとって大きな問題とはなっていません。


「いかに自分が報われていないか」「いかに自分が不幸であるか」を周囲に分かってもらいたいという願望のみが、本人の行動を決定付けることになります。


軽度から重度まで、その程度は人によって異なりますが、
「改善意欲」がなく「不満」を言い続けると、それが、自分の精神を蝕むことになるので、気をつけましょう。

posted by braindex at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

前回のつづき。

「やりたくないこと」でもやってしまうのはなぜか?のつづきです。。。


A「集団主義」による自己犠牲
この判断基準は、「不快・損・善」ということになります。

自分にはメリットがないとしても、集団のメリットを考えて、「自分」よりも「集団」を優先する考え方です。


ここで、前回の「デメリットの解消」との違いがよく分からない・・・という方がいらっしゃるのではないかと思います。

そうなんですよね。。。

つまり、「自分を抑えて集団を優先する」代わりに、何らかのメリットを享受しているから、「結局のところ、利己主義と同じではないか」という見方ができなくもないわけです。


「人間は、自己中心的で、メリットのない自己犠牲なんてありえない」
という考えを前提にすると、「集団主義」も「利己主義」の一つに含まれることになります。


この点を分かりやすくするために、類似する次の例を挙げてみましょう。

『ボランティア精神』について、
「相手のため(善)」という人と、「結局は自己満足のため(偽善)」という人との2通りがあります。

ここで、「ボランティアは偽善だ」と主張する人は、「集団主義」と「利己主義」を区別する必要はないでしょう。

しかし、「ボランティアは善だ」と考える人は、「集団主義」と「利己主義」を明確に区別する必要があります。



このような考え方の違いは、、、

「人間は本来自己中心的な生物だ」という前提のもとに、
「思いやり」とか「我慢」とか「社会貢献」という社会性を教育される
わけですが、、、この過程で生まれているのでしょう。



私は、この過程ので「教育体系」や、「メディアからの情報」、「社会の風潮」、「常識という名の無責任」が、
正直な人」「真面目な人」「心の弱い人」を無意識に苦しめているのではないかと考えています。


「集団主義」は、結局「利己主義」だとすれば、

「なぜ、仕事でうつ病になるのでしょうか。」
「なぜ、仕事に苦しんで自殺する人がいるのでしょうか。」



現代社会が、「ストレス社会」だといわれる原因は、「日本を取り巻く環境変化」と、それに伴う「日本人の考え方の激変」だと思います。


また、長くなりましたので、その理由については、次回に回します。


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2008年02月17日

人はなぜ、「やりたくないこと」もやってしまうのか

自分の「やりたいこと」だけやっていれば済むのなら、こんなに「楽」なことはありません。

しかし、実際の日常生活においては、そうは言っていられません。
特に、ビジネス世界では、大変な毎日が続きます。


では、なぜ、つらい思いをしながらも、「やりたくないこと」をやってしまうのでしょうか?

その理由は、大きく以下の3つに分類されます。


@「利己主義」によるメリット
これは、以前にご紹介した判断基準によれば、「不快・得・善(悪)」ということになります。

ここにも2通りの分類ができます。

一つ目は、「メリットの期待」です。
例えば、「給料が上がる」とか、「できるやつと認められたい」とか、「ここで我慢すれば、後で見返りがある」ということです。

二つ目は、「デメリットの解消」です。
例えば、「給料を下げられたくない」とか、「できないやつと非難されたくない」とか、「ここで嫌われると後で困るだろう」ということです。

実際に「やりたくないこと」をやる場面では、「デメリットの解消」による「損得」感情に動かされていることが多いのが実情でしょう。


ここで、注意すべきは、、、
多くの日本人は、「損得」感情を表に出すことを控える傾向にあり、実際に「損得」感情で動く人間ではないと思い込んでいる人も多いのです。

「メリットの期待」で打算的に動くときには、主体性が伴い、そんなに「ストレス」を感じないのに対し、
「デメリットの解消」で動くときには、自分の主体性に気づかずに、大きな「ストレス」を伴います


つまり、「やらされ感」が強い人というのは、「デメリットの解消」に気づいていないのです。


長くなってしまったので、続きの二つは、次回に回します。
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2008年02月16日

鳥かごの鳥のストレス

例えば、小鳥を飼ってきたとします。

餌を与え、鳥カゴをきれいに掃除し、一匹では寂しいだろうと夫婦にしてやります。

この小鳥たちは、天敵の脅威にさらされる事なく、ある意味では「幸せ」を感じているかもしれません。

しかし、「大空を羽ばたきたい」という願望(本能)を捨てることはできずに、大きなストレスを感じているかもしれません。


動物園の動物たちも同様です。
いかに快適な生活が保障されていようが、「狩りがしたい」「自由に駆け回りたい」「縄張争いがしたい」というストレスから開放されることはないでしょう。


動物たちの本心を知ることは、私たちにはできません。
飢えることない快適生活に満足しているのかもしれませんし、命の危険があっても自然に帰りたいと願っているかもしれません。
でも、私たち人間の「エゴ」に振り回されていることは間違いないでしょう。(私も動物が好きなので、よく動物園に行きますが・・・)


「動物を自然に返しましょう!」というお話ではありません。

動物の本心は分かりませんが、自分の本心は分かります。


私たちは、社会の「エゴ」に振り回されています。

現状で満足している人もいれば、大きなストレスを抱えている人もいるでしょう。

社会性を放棄するわけにはいきませんが、
「鳥カゴ」や「檻」にいること自体がストレスになっている動物と同じ状態にあるとすれば、どんなに快適な生活が約束されていても、自分のストレス発散にならないことは、間違いないでしょう。
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2008年02月13日

ワーキングプア・・・の現実

たとえば、、、


リンゴが100個あったとします。これを10人で分けるとすると、、、

   100個 ÷ 10人 = 10個 

で、一人10個ずつ均等に分けることができます。



では、それが80個になったらどうでしょうか?

   80個 ÷ 10人 = 8個ずつ と、平和な解決にはなりません。

力ある人(例えば、3人いたとすると)が、まず自分の10個を確保することになるでしょう。

すると、残りは、50個です。これを残りの7人で分けると、一人7.1個ずつとなります。が、これでは、多数派を占める7人が納得できないでしょう。


では、どうなるか・・・

まず、力ある人が、12個ずつ確保します。
次に、力ある人は、残りの7人中4人8個ずつ分け与えることを約束します。
最後に、残った3人が、4個ずつ分けることになります。


つまり、、、

@「3人×10個 + 7人×7.1個」 よりも

A「3人×12個 + 4人×8個 + 3人×4個」 のほうが、バランスを保てることになります。


@の場合だと、多数派の7人は、常に上を見て不満を感じることになります。

Aの場合だと、真ん中の4人は、上を見て不満を感じたとしても、下を見ることで安心感を感じることができます
下位の3人では少なくて、不満を言ったところで上の7人は聞く耳を持ちません。


下位の3人が、現代に言う「ワーキングプア」の人々に当たります。
「勝ち組」「負け組」と言われていますが、多くの人々は、自分達は「中流」だと自分を納得させています。

その心理背景には、「勝ち組」を羨む裏側に、「負け組」を見て、「ああならなくて良かった」と安心しているのです。


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2008年02月11日

なぜこうなってしまうのか・・・

古代ローマ帝国の盛衰と現代社会には、通じるものがあると言われています。

今回は、古代ローマを生きた賢人、セネカの言葉をご紹介いたします。


「誰彼を問わず、多忙な人の状態は惨めであるが、最も惨めな者は、自分自身の用事でもないことに苦労している人である。」

「無限の欲に捕われている者がいる。 無駄な苦労をしながら骨折り仕事に捕われている者がいる。 酒びたりの者がいれば、怠けている者がいる。 他人の意見に左右され、野心に引きづられ、疲れ果てている者がいる。 金持ちになりたい一心で、世界を飛び回る者がいる。他人を傷つけることばかり考えている者がいる。 感謝の気持ちを忘れ、他人に媚びへつらう者がいる。 その多くの者達は、他人の運命のために努力するか、自分の運命を嘆くかに関心を奪われている。」

「大多数の人間は、確固たる目的を追求せず、移り気で飽きっぽく、軽率に次から次へと新しい計画に踊らされている。」

「自分の人生が、いかに短いかを知ろうと思うなら、自分だけの生活がいかに小さな部分しかないことを考えると良い。 それ以外の時間は、単なる時間にすぎず、人生とは言えない。」

ブランド品で身を固めている人を見ても、地位や肩書きを手に入れた人を見ても、羨む必要はない。 富や名声は、自分の人生を犠牲にして獲得するものだからである。」

「彼らの人生は短いのではなく、ただ無駄なことに時間を浪費しているだけである。 最期に気付く事は、すでに消え去った時間を嘆くだけである。 それは、莫大な財産でも、無駄遣いすればすぐに無くなるが、並みの財産でも、使い方によって価値あるものとなるのと同じである。」



上記の言葉は、多少アレンジしていますが、その意図するところに大きくズレはないものと思います。

それにしても、、、2000年も昔の言葉とは思えない内容です。

「歴史は繰り返す!」と言いますが・・・



posted by braindex at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 幸せを考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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